怖い家
明るい灰色の夕暮れだった 自転車に乗って怖い家にゆく
住宅街を離れた国道沿い 二階建ての民家が休耕田にかこまれて
時代に見放され世間に忘れられた高度経済成長期の遺骸のように
ぽつんと建っていた 草が生い茂る荒れた庭 閉め切られた雨戸
不気味なシミが浮き出た外壁 ひとが暮らしているとは思えない
それでも玄関の呼び鈴だけは生きていた 押してみよう
可憐な音色でチャイムが鳴った やがて玄関の扉がギィと開く
オレンジ色の光があふれてくる 神々しい「理想家族」の登場だ
ダンディなパパにスレンダーなママ ふたりの娘は十二歳と十五歳
妹の肩を抱いた姉の巻き髪が風もないのにふわふわと揺れていた
満面の笑みで来客をお出迎え 幻だと分かっていても胸が熱くなる
あなたも今日から家族の一員ですよ さあいらっしゃい
こころのすきまに入り込んでくる沈黙の誘惑 遠慮しとくよ
そのとき灰色の子猫がやって来て 足もとをすり抜けていった
差し出された姉妹の両手が至高の愛を語っている 戻っておいでよ
子猫の鳴き声が日向水のような愛のなかで輪郭を失い融けてゆく
すべては偽りの世界だった 視点をかえれば本当の姿が見えてくる
玄関わきの秘密の覗き穴から覗いてみた たまらなく怖くなった
戻っておいでったら いっしょに冒険旅行に出かけようよ
ほら出かけるよ 子猫がふりむいた はやくしないと置いてゆくよ
閉じかけた玄関の扉からするりと子猫が出てきた お帰り!
抱きかかえて痛んだ毛並みを丁寧に整えてやる 元気出たかな?
裏口にまわると薪が積み上げてあった 夜に火を放つのだろう
燃えて灰になった家は その度に新たな表札を掲げて蘇るという
さあ出発 こっちだよ 梢を揺らす風が道を教えてくれる
きみの闇夜を見通す目と自転車があればどこへでもゆける
詩作メモ
詩作ノートを繰ってみると「怖い家」の着想を得たのは6月9日だった。あれから3ヶ月あまり、詩が完成した。そのとき見えていた情景はとてもくっきりしていて、すぐにでも詩は仕上がりそうだった。でも上手くいかない。冒頭部分を少し書いては、なんかちがうなぁ、とすぐに止めてしまう。
先週のこと、書けそうな気がしてきたので詩作の作業にとりかかった。ほどなくして詩は仕上がった。書けそうだなと思うとなぜか書けてしまう不思議。書けそうな気がしないときは、やはり書けないという不思議。詩作は面白い。
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