ご無沙汰しております
ご無沙汰しております。こちらもずいぶんと様変わりしましたね。機械仕掛けの商業都市は怖れを知らない子供のようです。
いえ、迷ったりはしませんでしたよ。並木の落とす影が行き先を指し示してくれましたから。そこから先の路地のことはよく覚えています。
ぼくがいた学校は雨期になると瀧のように降りそそぐ豪雨のために、三階まで水に沈んでいました。そのとき遠方から客船がやって来るのですが、長い間、どのようにして乗ればよいのか分かりませんでした。なぜか乗船を拒否されてしまうのです。あるとき必要なのは「乗船券」ではなくて「旅券 (passport)」だということに気がつきました。旅券を発給してくれる教室はすぐに見つかりました。巨大な学校には都市国家のすべての機能が網羅されているのです。
書類を整えて提出すると担当の女子学生から「ぼく」の存在の確認を求められました。学校以外の場所で「ぼく」が「ぼく」として存在していたことの確証が得られなければ旅券を発給できないというのです。学校での暮らしが長かったぼくにとって、それは困難なことのように思われました。
机の上に鞄の中身を広げてみました。それが所持品の全てです。どの持ち物も学校内の売店で購入したものでした。それから学生手帳を繰ってみました。そのとき一枚の写真が床に落ちました。小さな写真で写りも鮮明ではありませんでしたが、そこに写っていたのは確かに「ぼく」でした。こちらの部屋であなたと一緒に撮った写真です。あの頃の持ち物はすべて処分してしまったはずなのに、なぜ写真が学生手帳のなかに挟まっていたのか、いまも不思議です。
これがその写真なのですが、窓の外では雪が降っていますね。ラジオの天気予報によると今夜は雪になるそうですよ。小さな偶然と小さな奇蹟に感謝しています。
詩作メモ
雨期になると三階まで水に沈む巨大な学校、そのとき遠方から客船がやって来る。ひとりの学生が客船に乗ろうと教室を渡り歩いていた……
こころひかれるイメージだった。情景の細部を即興的に描きながら「ぼく」から「あなた」への語りとして散文詩に仕立ててみた(イメージの断片を直感的に組み立てていったので、全体がどのような物語なのかは、このわたしにもよくわからない…)。
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