神さまの夢
縁日の帰りだった。Aは綿飴を食べていた。奇妙な既視感があった。Aがこれから語ることを、ぼくはありありと思い出していた。
ぼくたちが神さまの見ている夢の登場人物だとしたら? ぼくたちに神さまとの不思議な出会いがあるのは、ぼくたちが神さまの夢の中の登場人物だからだと考えてごらんよ。
神さまの夢? だとしたら…… 神さまが目覚めたとき、世界は夢から覚めて、この世界は終わるの?
楽しい夢なら覚めないよ、夢ってそんなものだろ。神さまは、ぼくたちの眠りのなかで目覚めるんだ。ぼくはそう思っている、人生も同じさ。
Aは綿飴をちぎってよこした。ありがとう。最後に綿飴を食べたのはいつのことだろう? 眠りの森の神さまを、ぼくたちはいつ知るのだろう?
詩作メモ
ポーは「夢のなかの夢」で、わたしたちの世界(現在)と思い出(過去)を「夢の入れ子」として歌った(詩の日本語訳はこちら)。「胡蝶の夢」では、〈荘周の夢〉と〈蝶の夢〉が互いに交換可能な夢と現実の関係として描かれる。夢を題材にしたお話は面白い。
わたしが一人称視点の〈わたし〉の夢を見ているとき、そこに登場する自分以外の人たちはどのような存在なのだろう? 〈わたし〉の相手から見れば、〈わたし〉の方が「自分以外の人たち」ということにならないだろうか? そのようなことを考えているときに、この詩の着想を得た。
神さまが夢を見るとしたら…… (神さまも夢を見るのかな?)
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