鞠二月二日堂

詩と芸術のブログ

ディキンソン 「わたしが死へと立ち止まれなかったので――」 Because I could not stop for Death —

 海外の詩の翻訳シリーズ。

 エミリー・ディキンソン、第6回「わたしが死へと立ち止まれなかったので――」 Because I could not stop for Death — (712番 1863年)日本語訳と解説(ディキンソンの目次と年譜はこちら)。

 ※ [ ]は、わたしの補足です。

 ※ 『対訳 ディキンソン詩集』亀井俊介編(岩波文庫)、『ディキンスン詩集』新倉俊一訳・編(思潮社)を翻訳と解説の参考にしました。

日本語訳 わたしが死へと立ち止まれなかったので――

原詩 Because I could not stop for Death —

Because I could not stop for Death —
He kindly stopped for me —
The Carriage held but just Ourselves —
And Immortality.

We slowly drove — He knew no haste, 5
And I had put away
My labor and my leisure too,
For His Civility —

We passed the School, where Children strove
At Recess — in the Ring — 10
We passed the Fields of Gazing Grain —
We passed the Setting Sun —

Or rather — He passed Us —
The Dews drew quivering and chill —
For only Gossamer, my Gown — 15
My Tippet — only Tulle —

We paused before a House that seemed
A Swelling of the Ground —
The Roof was scarcely visible —
The Cornice — in the Ground — 20

Since then — 'tis Centuries — and yet
Feels shorter than the Day
I first surmised the Horses' Heads
Were toward Eternity —

 ※ 原詩は版によってカンマやダッシュ、大文字、小文字の使い分けなどに違いがある場合があります。こちらでは『対訳 ディキンソン詩集』で使われているテキストThomas H. Johnson: The Poems of Emily Dickinson, 1955に合わせました。

解説 不滅と永遠 時間の外から届けられた光=ヴィジョン

 ディキンソンの代表的傑作のひとつとして認められている詩。

 作品は Death 「死」(1行目)からはじめられ、Eternity 「永遠」(24行目)で終えられる。人生には、ときおり不思議なことが起きる。その日、〈死〉が「わたし」の前に止まった。「死という乗り物」=馬車は「わたし」と「彼(死)」と「不滅」を乗せて、ゆるやかに駆けてゆく。子供たちの遊ぶ学校、目映い穀物畑、沈んでゆく太陽、冷たい露…… 忘れがたい体験は、その後の数百年の時間さえも短いものに思われたほどだった。死によってもそこなわれないもの~不滅があり、そのとき世界は非時間の事象~永遠として「わたし」のもとに届けられた。

 「あの日」のヴィジョン(死との邂逅)は、わたしたちの日常を裏から照射する光のように思われる。永遠~詩、芸術とは、そのような時間の外から届けられた光=ヴィジョンのことではないだろうか。

翻訳ノート

 原詩の切り詰められた表現にいくらかの言葉を補いつつ、いきいきとした語りのトーンを大切にして訳してみた。

1~4行 第1連

 1行目 for Death を既存の訳(亀井俊介新倉俊一訳)のように「死のために~」と訳すことはためらわれた。死を見定めようとする行為の不可能性としてとらえて、「死へと(立ち止まれなかったので)」と訳した。

 4行目 Immortality は「不滅」と訳した。「不滅の生」(亀井俊介訳)とすると、馬車のなかで「死(彼)」と「生」が同居することになり、なんだかおさまりがわるい。また「永遠」(新倉俊一訳)では、最終行の「永遠」を先取りしたかたちになるので、詩の展開から考えてよろしくないと思う(ここをあえて「永遠」と訳す意図がわたしにはよくわからないのだけれど…)。

 参考:Immortality を肉体の死によってもそこなわれない「魂の不滅」としてとらえることも出来るかもしれない。

5~8行 第2連

 5行目 We 「わたしたち」は、この詩で繰り返し使われている。それぞれ訳していってもよいのだけれど、日本語の語感としてやや鬱陶しい気もする。日本語の場合「わたし」や「わたしたち」を省略することもおおい。「わたしたち」を切り詰められるところは切り詰めて省略する方向で訳していった。

 8行目 Civility 「礼儀正しさ、丁寧な言葉[ふるまい]」は〈死〉の領域に入ってゆくには、それ相応の礼儀作法があるということだろうか。現世~此岸での生き方(仕事や余暇)を死の領域~彼岸にまで持ち込むことは出来ない。Civilityを「(彼の)丁重な振る舞い~」と訳した。

9~12行 第3連

 情景の描写が素晴らしいパートだと思う。それぞれに印象深いイメージの展開をそこなわないように、言葉の配列をできるかぎり維持して訳してみた。

 11行目 Gazing Grain 亀井俊介の解説では「麦などの穀物の実った粒を、物を凝視する目にたとえた表現か」とある。つぎの行が「沈んでゆく太陽」の描写になっていることから、麦の穂が陽光に輝いている情景が思い浮かぶ。Gazing を「輝き~眼差し」のイメージでとらえてみてはどうだろう(「熱心に見つめる」から「夕陽の輝きのような眼差し、視線」の連想)。そちらの方向から、「目映い視線を注いでいる穀物畑を~」とイメージを補足しつつ訳した(いかが?)。

13~16行 第4連

 13行目 He passed Us 「太陽がわたしたちを通りすぎた」は、12行目「沈んでゆく太陽を通りすぎた」からの展開。いっけん奇妙に思われるけれど(通りすぎた太陽に抜きかえされた?)、図にすると分かりやすい(このようなことではないだろうか)。

「わたしたち」と太陽の関係

 次の行(14行目)で、太陽が通りすぎた日没後の冷たさが「露」「震え」「寒さ」として具体的に呈示される。

 15行目 Gossamer 「薄い紗」については「当時まだ、薄地の紗織ではなく、空中に浮遊する蜘蛛の糸や、その種の薄物をさした」(亀井俊介の解説)ということです。薄く軽やかな衣服は、死後の存在の希薄さを暗示しているようにも思われる。

17~20行 第5連

 死者を埋葬する墓が地中の House 「家」として描写される。20行目 Cornice 「軒蛇腹(のきじゃばら)」は、建物の軒に帯状に取り付けた突出部分のこと。軒蛇腹があることから、地中の家は大きくて立派な家のようです。

21~24行 第6連

 それまでの〈死〉を巡る情景~イメージが最終行で呈示された Eternity 「永遠」へと鮮やかに結びつけられる。ディキンソンらしいキメの見事さです(ほれぼれします…)。日本語に訳す場合もそのような行単位の組み立て(イメージの展開)を踏襲したいのだけれど、既存の訳をみてみると、

それから―何世紀もたつ―でもしかし
あの日よりも短く感じる
馬は「永遠」に向かっているのだと
最初にわたしが思ったあの一日よりも――

 ※ 亀井俊介

 ということで、一般的な訳では「永遠」を最終行に置くことがむつかしい(それぞれの行の訳と、行と行のつながりを同時にこなすことはむつかしい)。でも心配はしていない、そのときわたしには「声」が聞こえていた(誰の声だったのだろうね?)。詩の翻訳ではときおり不思議なことが起きる。

 そうなんだと初めて思ったあのとき 馬は
 永遠にむかって駆けていた――

 そのときわたしのこころに響いてきた「声」を即興的に書きとめて、最終連の訳とした。永遠を宿したいくつもの素敵な言葉をありがとう、エミリー・ディキンソン!

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