ディキンソン 「これが詩人というひと――それは」 This was a Poet — It is That
海外の詩の翻訳シリーズ。
エミリー・ディキンソン、第14回「これが詩人というひと――それは」 This was a Poet — It is That (448番 1862年)日本語訳と解説(ディキンソンの目次と年譜はこちら)。
※ [ ]は、わたしの補足です。
※ 『対訳 ディキンソン詩集』亀井俊介編(岩波文庫)、『ディキンスン詩集』新倉俊一訳・編(思潮社)を翻訳と解説の参考にしました。
日本語訳 これが詩人というひと――それは
これが詩人というひと――それは
すばらしい感覚を蒸留する
ありきたりの意味から――
そして計りしれない香油は
よく知る品種の
戸口に散っていたもの――
わたしたちは驚かずにはいられない
以前は――それを見逃していたことに――
絵としてすくい上げて見せてくれる――
詩人とは――そのようなひと――
わたしたちに与えられているのは――あなたとは対照的な――
終生の[詩心の]貧しさ――
手にする分け前[=詩]は――無意識のなせる技で――
そんな泥棒は――なにも損なうことがない――
詩人は――そのひと自身が――富で
時の――外にいる――
原詩 This was a Poet — It is That
This was a Poet — It is That
Distills amazing sense
From ordinary Meanings —
And Attar so immense
From the familiar species 5
That perished by the Door —
We wonder it was not Ourselves
Arrested it — before —
Of Pictures, the Discloser —
The Poet — it is He — 10
Entitles Us — by Contrast —
To ceaseless Poverty —
Of Portion — so unconscious —
The Robbing — could not harm —
Himself — to Him — a Fortune — 15
Exterior — to Time —
参考:https://en.wikisource.org/wiki/This_was_a_Poet...
※ 原詩は版によってカンマやダッシュ、大文字、小文字の使い分けなどに違いがある場合があります。こちらでは『対訳 ディキンソン詩集』で使われているテキストThomas H. Johnson: The Poems of Emily Dickinson, 1955に合わせました。
解説 詩の神さま(master)はこのようなひと
ディキンソンの思い描く詩人像、詩作の妙[みょう]を歌った作品。既存の解説(亀井俊介)には「具体的に誰のことをうたっているのかは明らかではないが」とあり、特定の詩人を歌ったものではないようです。
1~4行 第1連
1行目 This was a Poet ということで、この詩が詩人について歌ったものであることが宣言される。2行目 Distills 「~を蒸留する」は香水の製造過程、バラなどの花から香りを抽出する方法を知っていないと理解がむつかしかもしれない。香りの成分は摘み取った花を蒸留釜に入れて水蒸気蒸留することで取り出される(古典的な抽出方法)。詩人は対象から得た感覚を蒸留することで詩(詩情)を取り出す。そのように理解すると、4行目 Attar 「香油、花香油」は詩の隠喩(メタファー)になっていることが分かる。
5~8行 第2連
3行目 ordinary Meanings 「平凡な意味」、5行目 familiar species 「よく知る品種」、6行目 perished 「枯れた、(散った)」とあるように、詩の題材はなにか特別なもの、美しさで人目をひくようなものではないことが示される。詩人はわたしたちが普段なにげなく見過ごしているものに光をあて、そこからこころに響く詩をつむぐ。すぐれた詩と出会うことで、「わたし」と世界の関係が少し変わる。同じものを見ても、それが以前とはちがって見えてくる。6行目 We wonder そのような眼差しの変化に、わたしたちは驚く。
9~12行 第3連
9行目 Of Pictures, the Discloser は disclose 「(隠れていたもを)あらわにする」ということで、詩の組み立てとしては、6~7行目「よく知る品種の/戸口に散っていたもの」(戸口に散っていたバラの花?)に隠された詩を Pictures 「絵、映像」としてあらわにする~皆に分かるように見せてくれるひと、というくらいの意味になるだろうか。「絵、映像」は(観念的ではなく)具象性を大切にして詩の世界を視覚的に構築してゆくことを好んだディキンソンの手法が反映されているようで興味深い。
12行目 Poverty 「貧困、貧弱、欠乏(poor の名詞形)」は、わたしたちが手にしている詩の才能~詩情の貧しさのことかなと思う(わたしの理解)。既存の訳では、Poverty が経済的な貧困(清貧?)のニュアンスで訳してある(そうなの?)。この箇所は、翻訳ノートで詳しくみてみます。
13~16行 第4連(最終連)
最終連の展開の見事さ(詩的な跳躍)は、さすがディキンソンだと思う(ほれぼれします…)。13行目 Portion 「(切り離された)部分、分け前」は、5~6行目「よく知る品種の/戸口に散っていたもの」からの「分け前」=〈詩〉というふうに理解したい。それは詩人の unconscious 無意識の行為(作為をもたない行為)によってもたらされるという。
14行目、詩人はそのように対象から詩を盗む泥棒(The Robbing)ではあるけれど、その行為は対象を傷つけたり、損なったりすることがない(not harm)。花から香りを取り出せば(盗めば)花は損なわれしまう。でも花から詩を盗んでも、花はなにひとつ損なわれることがない(詩って素晴らしい!)。
15行目、詩人はその人自身が Fortune 「富、財産」なのだとディキンソンは歌う。詩人は、わたはたちが普段何気なく見すごしているような対象から魔法のように詩を導く。詩人の感性や直観、インスピレーションが富であり、それは Exterior — to Time — 時の外にある。わたしたちはディキンソンが後世の人々に与えた影響のことを知っている。彼女のしなやかな知性とユーモアの眼差しは、新しい時代の表現~モダニズムの先駆けになったという。詩人の富はさまざまな時代を越えて、わたしたちにひらかれた富でもある。
翻訳ノート
日本語訳の行の組み立てと訳語の選択に思いのほか時間がかかった。内容の理解がむつかしいところもある作品なので、日本語訳では分かり易い表現をこころがけた(皆さんに詩のエッセンスが上手く伝わってますか?)。
行の配列について
英詩の翻訳で行の配列をどうするかは、なやましい。既存の訳(亀井俊介、新倉俊一)は原詩の行の順序を入れ替えて訳してある。1~6行目の原詩と亀井俊介訳をみてみると、
This was a Poet — It is That 1
Distills amazing sense 2
From ordinary Meanings — 3
And Attar so immense 4From the familiar species 5
That perished by the Door — 6
(……)これが詩人というもの――詩人とは[1] 1
ありふれた意味のものから[3] 2
驚くべき感覚を―― [2] 3
また戸口で枯れてしまった[6] 4ありきたりの草花から[5] 5
素晴らしい香水を抽出するひと――[2,4] 6
(……)※ [ ]は原詩の行の配列です。
となっていて、日本語訳としては原詩2行目 Distills を6行目「~を抽出する(ひと)」に置いて、そこに原詩3~6行目の内容がかかる組み立てになってるようです。散文の訳ならこのような組み立てでもよいかなと思うけれど、詩は行と連で構成されているので、それらの関係も考慮して訳したい。
原詩1~8行目がどのように展開されて組み立てられているかというと、おおよそこんなふうだろうか(わたしの理解です)。
原詩1~8行目の展開と組み立ての図。
2行目 Distills 「蒸留する」が、4行目 Attar 「香油(蒸留して得られたもの)」へと展開され(赤のライン)、3行目 ordinary Meanings 「平凡な意味」の具体的な情景が、5~6行目 familiar species, perished by the Door 「よく知る品種」「戸口に散っていた」に示される。2~3行目の抽象的な内容を4~6行目で具体的なものとして示す組み立てになっていて(緑のライン)、そのような平凡な意味~ありふれた情景と香油の関係が、7行目 We wonder わたしたちの驚きへと展開される(紫のライン)。
このようにみてゆくと、ポイントとなる Attar 「香油」は動かしたくない(第1連の終わりに置きたい)。2~3行目と5~6行目は、3→2、6→5 と入れ替えてもよいかなと思う(そのほうが自然な日本語になる)。いろいろなパターンを試してみたところ、原詩と同じ行の並びでいけるかなということで、そちらの方向から各行のつなぎ方を工夫しながら訳していった(行のつなぎ方の詳細については長くなるので省略)。
1~4行 第1連
2行目Distills 「蒸留する、引き出す」は詩の内容から、「(~から ~を)引き出す」ということだけれど、Attar との関係から(詩的な比喩として)「蒸留する」とした。4行目 Attar 手許の辞書には「花香油、(特に)バラ油」とある。「花香油」は馴染みのない言葉のように思われたので、一般的な言葉「香油」とした。「香水」でもよかったかもしれない。
5~8行 第2連
6行目 perished 「枯れた」は、バラなどの花を原材料にする香油との関係で「枯れた(花)」→「散った(花)」の方向で訳した。6行目 (not~)Arrested 既存の訳では「とらえられなかった~」となっていて、それに倣ってもよかったのだけれど、つぎの7行目に Pictures 「絵」とあるので、その前フリの効果も考えて〈視覚〉の視点から「見逃していた~」をあててみた。
9~12行 第3連
9行目 Discloser 直訳だと「開示者」くらいの意味になるのかな(グーグル先生より)。disclos 「(隠れていたものを)あらわにする」ということで、そのニュアンスで訳せばよいのだけれど、これがなかなかむつかしい。ここは、14行目で「(対象から詩を盗む)泥棒」へと展開される。あれこれ考えて「すくい上げて見せてくれる」としてみた(対象から詩をぐいとつかみ、すくい上げてわたしたちに見せてくれるイメージ)。
12行目 Poverty 「貧困、貧弱、欠乏」(poor の名詞形)はどのように訳すのがよいだろう。亀井俊介訳は「絶え間ない貧困にふさわしい者とします――」となっていて、そこから13行目「分け前については――とんと無頓着で――」とつづく。ここでは Poverty が経済的な貧しさ~欲のなさの方向で訳してあるようですが……
11行目に by Contrast とあって、これは詩人とわたしたちとの対比ということだろう。そうすると、わたしたちが経済的に貧しいということは、詩人は経済的に豊か(詩によりおおくの富を得た?)ということになり、なんだかしっくりこない(これまでの展開から眺めて違和感がある)。
第1~2連で歌われているように、わたしたちは詩人によって、ありふれた情景のなかに素敵な詩が隠されていたことを知る。では、わたしたち自身が詩人を介さずにそのような詩を獲得できるかというと、それはむつかしい(ほぼ出来ない)。このように考えてゆくと、ここでの Poverty は詩を導く能力~わたしたち自身の詩心の貧しさ(欠乏)ということではないだろうか。「貧しさ」に[詩心の]と補足して訳してみた。
13~16行 第4連(最終連)
13行目 Portion 「(切り離された)部分、分け前」は解説で語ったように対象から獲得した詩と理解して「分け前」に[=詩]と補足して訳した。unconscious 「無意識」は、思考によらない詩の獲得(一般にはインスピレーションと呼ばれているものです)の方向から「無意識のなせる技で」と訳してみた。15行目 Himself — to Him — 原詩では Poet 「詩人」は1行目に一度だけ使われている。そのような原詩の構成に倣うべきかなと思いつつ、ここは「詩人」をあてたほうが日本語の詩の終え方としてよい気がしたので「詩人は――そのひと自身が――」と訳した。
詩はディキンソンの詩作の秘密を垣間見ているようで興味はつきない。しばらく時間をおいて(これまで考えてきたことをリセットして)、また読み直してみたい。
- 次回 「あなたが秋に訪れるのなら」(第15回)
- 前回 「水は渇きに教わる」(第13回)
ご案内
- エミリー・ディキンソン 詩と時代~年譜 (目次)
ディキンソン おもな日本語訳