ディキンソン 「あなたが秋に訪れるのなら」 If you were coming in the Fall,
海外の詩の翻訳シリーズ。
エミリー・ディキンソン、第15回「あなたが秋に訪れるのなら」 If you were coming in the Fall, (511番 1862年)日本語訳と解説(ディキンソンの目次と年譜はこちら)。
※ [ ]は、わたしの補足です。
※ 『対訳 ディキンソン詩集』亀井俊介編(岩波文庫)、『ディキンスン詩集』新倉俊一訳・編(思潮社)を翻訳と解説の参考にしました。
日本語訳 あなたが秋に訪れるのなら
あなたが秋に訪れるのなら
わたしは夏を払いのけましょう
なかば微笑みつつ なかばすげなく
主婦が蠅にするように
あなたと一年で会えるのなら
わたしは月々を玉に巻いて――
それらを別の引き出しに仕舞います
日数がこんがらがってしまわないように――
ほんの数世紀遅れるのなら
わたしはこの手で数えましょう
指折りつづけて その指が落ちるまで
ヴァン・ディーマン島へと
たしかに この生が終わったとき――
あなたとわたしが在りつづけるのなら
わたしは生[肉体]を果実の皮のように投げ棄て
永遠をとります――
でもいま その長さは不確かで
その[隔てる時の]間にあって
わたしを苦しくさせます 魔物の蜂のように――
なにも答えはなく――刺すのです
原詩 If you were coming in the Fall,
If you were coming in the Fall,
I'd brush the Summer by
With half a smile and half a spurn,
As Housewives do, a Fly.
If I could see you in a year, 5
I'd wind the months in balls —
And put them each in separate Drawers,
For fear the numbers fuse —
If only Centuries, delayed,
I'd count them on my Hand, 10
Subtracting, till my fingers dropped
Into Van Dieman's Land.
If certain, when this life was out —
That yours and mine should be
I'd toss it yonder, like a Rind, 15
And take Eternity —
But now, uncertain of the length
Of This, that is between,
It goads me, like the Goblin Bee —
That will not state — its sting. 20
参考:https://en.wikisource.org/wiki/If_you_were_coming...
※ 原詩は版によってカンマやダッシュ、大文字、小文字の使い分けなどに違いがある場合があります。こちらでは『対訳 ディキンソン詩集』で使われているテキストThomas H. Johnson: The Poems of Emily Dickinson, 1955に合わせました。
解説 待ちつづけることの痛み
あなとはいつ会えますか? わたし、あなたのことをいつまでも待っています、ええ、いつまでも……
待つことには女性にとって独特のニュアンスがあるように思う。相手に対してこちらからなにか働きかけをするのではなくて、ただ待っていること。ふたりを隔てているのが距離ではなく、時間であることに注目したい。待ちわびることの苦悩を歌うとき、ディキンソンはそこに少々お馬鹿なふり~ユーモアを添える。それは、ひとところにとどまりつづけ(なぜ会いにゆきませぬ?)待つことの情念の裏返しのようでもある。
季節が過ぎ、一年が経ち、幾世紀をまたいで、待つことの時間(有限)は現実の枠組みを失い、非時間である Eternity 永遠(死後の存在)を取り込む。尽きることのない思いは死を超える。でも、そこに確かなものは何も見つけられない。未来は不確定であり、そこから明確な言葉~確信を導くことは出来ない。待ちつづけることは、いまを生きるこころの痛みとなる。詩に歌われたあなたは、こころに秘めた殿方か…… あるいは神の啓示か……
翻訳ノート
日本語の自然な言葉の流れ~表現を大切にして訳してみた。
1~4行 第1連
第1連~第4連は If からはじまる。各連の行頭を「もし~」とすると日本語の詩として表現がややくどくなる気がした。行末を「~なら」の方向で訳した。3行目 spurn は「すげなく」(ぶっきらぼうに応対する様子)をあててみた。既存の訳「そっけなく」(そのものに対する関心や暖かみを全く欠く様子)でもよかったかもしれない。
5~8行 第2連
待つ時間が季節(夏→秋)から1年に延びる。6行目 I'd wind the months in balls — 「わたしは月々を球にまるめてしまいましょう――(亀井俊介訳)」は、待ちつづける日々を毛糸にみたてて、それを毛糸玉に巻くイメージで訳してみた。balls は「玉」として、8行目 fuse は「こんがらがって~」とした。
9~12行 第3連
1年が世紀へと展開される。世紀をまたいで100年を待つことは、ひとにはむつかしい(第4連 Eternity の前フリ)。Van Diemen's Land 「ヴァン・ディーマン島」については亀井俊介の解説に詳しい。
Van Diemen's Land オーストラリア南東の、現在は Tasmania と呼ばれる島。1853年までこの名(Dieman's は Diemen's が正しい)であった。遠隔であり、かつてはイギリスの流刑地でもあったから、作者は「地の果て」のイメージでこの地名をあげたのであろう。
ということです。
13~16行 第4連
13行目 life をシンプルに「生」として、そこから死→魂の不滅→永遠のイメージで訳していった。15行目 it は、13行目 life のことだけれど、生命=肉体と理解して[肉体]と補足した。16行目 take Eternity 「永遠をとります」は力強くディキンソンらしい表現だと思う。
14~20行 第5連
待つことの不確かさ~こころの痛みが呈示される。19行目 goads は「(精神的)刺激」の方向から「(こころを)苦しくします」と訳した(もう少しぴったりした言葉があるかもしれない)。19行目 Goblin Bee 「魔物の蜂、鬼蜂」は〈答え〉を告げてくれるわけではなく、こころを針で刺す~こころに鋭い痛みをもたらすイメージで訳した。
わたしは東洋のひとなので、気長に待つことを楽しみに思う感覚もある。ディキンソンはどうだったのだろうね? 待つことには達することとは違うこころの在り方があり、その過程のうちにも創造性がある。
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