鞠二月二日堂

詩と芸術のブログ

ディキンソン 「わたしの人生は――弾の込められた銃で――」 My Life had stood — a Loaded Gun —

 海外の詩の翻訳シリーズ。

 エミリー・ディキンソン、第18回「わたしの人生は――弾の込められた銃で――」 My Life had stood — a Loaded Gun —(754番 1863年)日本語訳と解説(ディキンソンの目次と年譜はこちら)。

 ※ [ ]は、わたしの補足です。

 ※ 『ディキンスン詩集』新倉俊一訳・編(思潮社)を翻訳の参考にしました。

日本語訳 わたしの人生は――弾の込められた銃で――

原詩 My Life had stood — a Loaded Gun —

My Life had stood — a Loaded Gun —
In Corners — till a Day
The Owner passed — identified —
And carried Me away —

And now We roam in Sovereign Woods — 5
And now We hunt the Doe —
And every time I speak for Him —
The Mountains straight reply —

And do I smile, such cordial light
Upon the Valley glow — 10
It is as a Vesuvian face
Had let its pleasure through —

And when at Night — Our good Day done —
I guard My Master's Head —
'Tis better than the Eider-Duck's 15
Deep Pillow — to have shared —

To foe of His — I'm deadly foe
None stir the second time —
On whom I lay a Yellow Eye —
Or an emphatic Thumb — 20

Though I than He — may longer live
He longer must — than I —
For I have but the power to kill,
Without — the power to die —

 ※ 原詩は版によってカンマやダッシュ、大文字、小文字の使い分けなどに違いがある場合があります。

解説 詩作と狩り

 ある日、詩を書きはじめる。部屋の片隅に置かれていた銃を手にして…… 引き金が引かれた。言葉はあやまたず対象を仕留めた。

 詩作はどこか狩りにいている。銃を詩の技術~才能のメタファー(隠喩)として、この詩を読んでみたい。3行目に Owner 「所有者」とあるように銃と所有者は不可分の関係にある。所有者以外の人間がその銃~才能を手にしても上手く使いこなすことは出来ないだろう。この詩の面白さは銃の所有者=射手の視点ではなく、銃を視点にして歌われていることにあると思う。ディキンソンにとって詩の才能の輝きは(自身にとっても)大きなもの、狩りのようにスリリングなよろこびに溢れたものだったのかもしれない(わたしの理解からの推測)。

 「わたし」は主人と共に狩りを楽しみ、夜は主人を護り、ときに主人の敵と闘う。それでもやがて、銃と所有者~才能と本人の関係が終わる時がくる(永遠に狩りをしつづけることは出来ない)。詩はつぎのように終えられる(最終連)。

わたしが彼より――長く生きるかもしれないけれど
彼の方が長生きすべきだ――わたしより――
わたしは仕留める力は持っていても
死ぬ力は――持ちあわせていない――

 主人を失った銃、銃を失った主人。才能を残したまま死ぬのか? 才能が枯渇するまで(すべての才能を出し切るまで)生きるのか? ディキンソンは「彼の方が長生きすべきだ」と歌う。才能を天与のものとすれば、それを使い切るのが使命ということだろうか。才能は時間の経過と共に衰退してゆくこともある。でも、いまそこにある才能を押しとどめることは誰にも(才能自身にも)出来ない。ディキンソンが長い年月にわたり精力的に詩を書きつづけたように……

翻訳ノート

 表現の勢いを大切にしつつ、こなれた日本語をこころがけて訳した。

1~4行 第1連

 1行目 Loaded Gun 既存の訳に倣って「装填された銃」でよいかなと思いつつ、飾りではなくて実際に使われる銃ということで「弾の込められた銃」とより具体的な表現にしてみた。3行目 Owner 「持ち主、所有者」は銃と1対1の関係であることに注目しておきたい。

5~8行 第2連

 4行目 Sovereign Woods 既存の訳は「主人の森」で、そちらの方向から「領主の森」としてみた(銃を手にしている彼の詳細が分からないので訳しにくい)。森で鹿狩りをするということから銃は猟銃であることが推測される。7~8行目は銃声が山に谺するイメージ。

9~12行 第3連

 銃(猟銃)が火を噴いたときの情景だろうか。ベスビオ火山は、その噴火(火砕流)でポンペイを埋もれさせた火山。9行目 smile 「微笑み」と11行目 Vesuvian face 「ベスビオ火山」の組み合わせはなかなか迫力がある。

13~16行 第4連

 楽しい狩りが終わり夜になる。「わたし」は主人と枕を共にすることなく、その頭を護る(銃としての使命感)。15行目 Eider-Duck's 「ケワタガモ、毛綿鴨」は良質の羽毛がとれるカモのこと。「ケワタガモ」に「羽毛」と補足した。

17~20行 第5連

 「わたし」と主人、敵との関係が示される。17行目 To foe of His — I'm deadly foe — は、主人の敵はわたしの敵で、わたしを敵に回すと命取りになる、というくらいの意味だろうか。「彼の敵にとって――わたしは命取りになる敵」と訳してみた。この連はずいぶんと勇ましい。

11~24行 第6連

 「わたし」と主人、その死が語られる。23行目 kill ここでは狩に銃が使われているので「殺す」ではなく「仕留める」と訳した。わたしが解説で語った、詩の言葉が対象を仕留めるイメージ。

 いつか訳したいと思っていた詩なので、訳すことが出来てよかった。

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ディキンソン おもな日本語訳

 

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