鞠二月二日堂

詩と芸術のブログ

ポー 「夢のなかの夢」 A dream within a dream

 海外の詩の翻訳シリーズ。

 エドガー・アラン・ポー、第4回「夢のなかの夢」 A dream within a dream (1849)日本語訳と解説(ポーの目次はこちら)。

 ※ ポーの詩のエッセンスが日本語の詩として上手く伝わるように表現を工夫しながら、自由なイメージで訳しています。解説、翻訳ノートとあわせてお読み頂けたらと思います。

 ※ [ ]は、わたしの補足です。

 ※ 『対訳 ポー詩集』加島祥造編(岩波文庫)を翻訳と解説の参考にしました。

日本語訳 夢のなかの夢

原詩 A dream within a dream

A dream within a dream
 Edgar Allan Poe

Take this kiss upon the brow!
And, in parting from you now,
Thus much let me avow—
You are not wrong, who deem
That my days have been a dream; 5
Yet if hope has flown away
In a night, or in a day,
In a vision, or in none,
Is it therefore the less gone?
All that we see or seem 10
Is but a dream within a dream.

I stand amid the roar
Of a surf-tormented shore,
And I hold within my hand
Grains of the golden sand— 15
How few! yet how they creep
Through my fingers to the deep,
While I weep—while I weep!
O God! can I not grasp
Them with a tighter clasp? 20
O God! can I not save
One from the pitiless wave?
Is all that we see or seem
But a dream within a dream?

 ※ 原詩は版によってカンマやダッシュ、字下げなどに違いがある場合があります。こちらでは『対訳 ポー詩集』で使われているテキスト Thomas Ollive Mabbott: Collected Works of Edgar Allan Poe, Volume I, Poems, 1969 に合わせました。

簡単な解説

 「夢のなかの夢」は、喪失と夢を主題にして歌われる。ひとは大切なものを失ったとき、それとあわせて「現実感」も失ってしまうことがある(喪失の悲しみのなかで世界がリアリティを失い、なにか夢のなかにでもいるような感覚に陥ることがある)(心理学ではこのようなこころの状態を「解離」といいます)。

 詩のタイトル A dream within a dream は、実際には「現実のなかの夢のようなあの頃の思い出(過去の記憶)」なのだけれど、ここにある現実(現在)がすでに夢としか思われないので「夢のなかの夢のようなあの頃の思い出」となり「夢のなかの夢」と表現される。「過去」だけでなく「現在」までも夢に置きかえられることで「夢の入れ子の構造」がつくられる(わたしの理解です)。

 第1連では現実の世界での喪失が歌われ、第2連では語り手のこころの世界の喪失が歌われる。どれほど鮮やかな愛の記憶も、やがてセピア色の淡い夢のように薄れてゆく……

翻訳ノート

 「夢のなかの夢」は、一人称で語られる「語りのトーン」を大切にしながら訳していった。感情のうねりのなかの夢を見ているかのような静けさが上手く伝わればいいなと思う。

1~11行 第1連

 1行目は、キスのイメージから入っていった(「額にこのキスを~」と、額から入ってゆくとキスのイメージが弱くなる気がしたので…)。

 8行目 none は「visionの反対として、reality と解されもする」そうです(加島祥造の解説)。

 「夢のなかの夢」では a dream within a dream が組み込まれた各連の終わり2行をどのように訳すかが大切になってくる。

All that we see or seem
Is but a dream within a dream.

 さて、どうしよう……

 加島祥造訳は see or seem が「見たり思ったり~」となっている。seem を「(…と)見える」ではなく「思われる」の方向で訳すと(日本語の「思う」の意味から)語り手の思考=こころ(主体)まで夢にゆだねてしまうことになる。加島祥造は解説で「ここには荘子の夢みた胡蝶とつながるものがある」と語っているので、そこまで考えての訳かもしれないけれど、わたしには違うように思われた。

 詩の最後で提示される「夢のなかの夢ではないのか?」という問いかけが切実に響くためには、現実が夢であるかのように思われる感覚そのものは「ぼく」にとっての「リアル」でなくてはならないと思う。夢の世界に飲み込まれて、夢を夢だと認識できない状態にあるわけではないのだから……

 というようなことを、つらつらと考えていると「見えるものすべて ぼくたちが見ているのは~」というフレーズが、どこからともなく思い浮かんできた。その瞬間、ああこれにしようと思った。

 見えるものすべて ぼくたちが見ているのは
 夢のなかの夢にすぎない

 正確な訳とはいえないけれど、シンプルな言葉の並びのなかに、言葉の意味を越えて伝わるものが感じられた(直感からもたらされたものを大切にしよう)。

12~24行 第2連

 15行目 golden sand は「金色の砂」ではなく、詩全体のイメージから「貴重な砂」と訳した。16行目 How few! 「ほんの少し(わずかの砂)」は、上手く組み込めなかったので日本語訳の14行目の冒頭に「ひとつかみ」と入れて対応した。18行目 while 「…するうち、…するあいだ」は、その情景から「泣くことしか出来なかった」としてみた(他にどうすることが出来ようか…)。

 19~22行目は、原詩から見えてきた情景を、そのまま言葉に置きかえてゆくような感覚で訳した。22行目 pitiless wave 「無情な波」は「無情な時」のイメージが重ねられていると理解して「無情な波[=時]」と意味を補足した(記憶も、愛も、すべては時の流れのなかに去ってゆく…)。

 最後の2行は、第1連のフレーズをそのまま「問いかけ」のかたちにして、リフレインのイメージでまとめた。

 見えるものすべて ぼくたちが見ているのは
 夢のなかの夢ではないのか?

 「夢のなかの夢」が、わたしたちに語りかけてくるものは、とても切ない。でもそれは、けっして暗い絶望などではないと思う。ポーが残した〈夢〉への問いかけが、わたしたちのこころを「もうひとつのリアル」へと導いてくれる。

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