ポー 「病める王宮」 The Haunted Palace
海外の詩の翻訳シリーズ。
エドガー・アラン・ポー、第3回「病める王宮」(魔の宮殿、狂える城) The Haunted Palace (1846)日本語訳と解説(ポーの目次はこちら)。
1.日本語訳 2.原詩 3.解説 4.詩の構成 5.翻訳ノート
※ ポーの詩のエッセンスが日本語の詩として上手く伝わるように表現を工夫しながら、自由なイメージで訳しています。解説、翻訳ノートとあわせてお読み頂けたらと思います。
※ 『対訳 ポー詩集』加島祥造編(岩波文庫)を翻訳と解説の参考にしました。
日本語訳 病める王宮
ぼくたちの暮らす谷には
愛らしい天使たちが集う森があって
かつて そこに立派な造りの美しい王宮が建っていた
王宮は深い森から頭をのぞかせて陽光に輝いた
それは君主のすぐれた思想=知性による統治を
物語るように 青空たかく建っていた!
最高の位階を持つ天使セラフも
これほど美しい王宮の上空を舞ったことはなかった!
王宮の屋上には黄色の旗が立ちならび
栄光の黄金色に輝いて 風の流れのなかにゆれていた
(それはみんな むかしのお話
遠い 思い出……)
こころおだやかな佳き日々だった
やさしい風と戯れた
蔓草の青白い羽根飾りをつけた城壁に沿って
森の香りが翼をひろげ 吹き抜けていった
幸せの谷をさすらう人は
ふたつの明るい窓のむこうに何を見るのだろう
天上的な精神の悦楽が
完璧に調律されたバロックリュートの調べとなって
玉座のポーフィロージンを中心に
優雅な螺旋を描き 舞っていた
彼は成功の絶頂にあった 領土の統治者にふさわしい
気品と栄華に輝いていた
豪華に飾られた王宮の扉には
純白の真珠が輝き 真紅のルビーが燃えていた
そこから尽きることのない泉のように
こんこんと美声が流れ出た
途切れることのない歌声は
群れ飛ぶエコーになって 谷の隅々にまで届けられた
美しく響く声=エコーは
王の機知と叡知への称賛そのものだった
けれど 悲哀の衣装を着た邪悪なものが
幾多の悲劇となって王の領地に襲いかかった
(ああ なんてこと! 憂鬱に沈み
明日を奪われ王にあの頃の面影はなかった!)
名声は無残にしおれ
王宮に咲き誇った花々は灰色の土に消えた
夢物語は時の墓場に埋葬されて
人々の記憶からこぼれ落ちた
いま この谷を訪れる旅人は
赤く光る窓のむこうに何を見るのだろう
そこでは奇怪な幻影が
調子外れの音楽にあわせてもぞもぞと動き
朽ちた扉からはおぞましいものたちが
渦を巻く川の流れのようにとめどなく溢れた
それは背筋の凍りつく不気味な哄笑だった
微笑みは 二度となく
原詩 The Haunted Palace
The Haunted Palace
Edgar Allan Poe
In the greenest of our valleys
By good angels tenanted,
Once a fair and stately palace—
Radiant palace—reared its head.
In the monarch Thought’s dominion— 5
It stood there!
Never seraph spread a pinion
Over fabric half so fair!
Banners yellow, glorious, golden,
On its roof did float and flow— 10
(This—all this—was in the olden
Time long ago)
And every gentle air that dallied,
In that sweet day,
Along the ramparts plumed and pallid, 15
A wingèd odor went away.
Wanderers in that happy valley,
Through two luminous windows, saw
Spirits moving musically,
To a lute’s well-tunèd law, 20
Round about a throne where, sitting,
Porphyrogene,
In state his glory well befitting
The ruler of the realm was seen.
And all with pearl and ruby glowing 25
Was the fair palace door,
Through which came flowing, flowing, flowing,
And sparkling evermore,
A troop of Echoes, whose sweet duty
Was but to sing, 30
In voices of surpassing beauty,
The wit and wisdom of their king.
But evil things, in robes of sorrow,
Assailed the monarch’s high estate.
(Ah, let us mourn!—for never morrow 35
Shall dawn upon him, desolate!)
And round about his home the glory
That blushed and bloomed,
Is but a dim-remembered story
Of the old-time entombed. 40
And travellers, now, within that valley,
Through the red-litten windows see
Vast forms that move fantastically
To a discordant melody,
While, like a ghastly rapid river, 45
Through the pale door
A hideous throng rush out forever
And laugh—but smile no more.
参考:https://en.wikisource.org/wiki/.../The_Haunted_Palace
※ 原詩は版によってカンマやダッシュ、字下げなどに違いがある場合があります。こちらでは『対訳 ポー詩集』で使われているテキスト Thomas Ollive Mabbott: Collected Works of Edgar Allan Poe, Volume I, Poems, 1969 に合わせました。
簡単な解説
「病める王宮」(魔の宮殿)The Haunted Palace は、ポーの有名な短編小説「アッシャー家の崩壊」 The Fall of the House of Usher に組み込まれている。加島祥造の解説によると、ポーは最初に詩を書き、そこから(詩のイメージを展開してゆくことで)作品を完成させたそうです。
この詩では、君主(人間)と王宮(建物)が不可分の関係として描かれる。君主のすぐれた知性=美しい王宮が、領地にもたらされた悲劇を契機に病的な精神状態=不気味な王宮へと反転してゆくさまは、読んでいて迫力がある。
詩の構成
この作品はよく考えられた機能的な構成を持っている。それぞれのパート(第1~6連)を構成の視点から箇条書きにしてみよう。
- 王宮の遠景の描写(谷、森、天使のイメージ)
- 王宮の近景の描写(旗、城壁、風のイメージ)
- 王宮の内部の描写(リュートの調べ、玉座のポーフィロージン)
- 王宮の栄華の「内」から「外」への展開(王を称賛するエコー)
- 王宮の栄華が没落へと反転する(悲劇~没落へ)
- 不気味な王宮の「内」から「外」への展開(怪奇な幻影と笑い)
(起) 第1~2連
(承) 第3~4連
(転) 第5連
(結) 第6連
というふうになるだろうか。構成の巧みさ、イメージの対比の鮮やかさ、物語の展開の上手さは、さすがポーだと思う(素晴らしい!)。
翻訳ノート
原詩の言葉をそのまま日本語に置き換えると、ややあっさりしすぎるというか、いまひとつ雰囲気が出ない。原詩の内容から、よりイメージが伝わる日本語の表現を模索しながら訳していった(原詩に言葉を盛りつつ訳しています)。
タイトル
The Haunted Palace をどのように訳そう…… 加島祥造訳は「狂える城」、佐々木直次郎、巽孝之訳は「魔の宮殿」となっている。haunted は「幽霊の出る」あるいは「取り憑かれた(ような)」(精神を病んだ状態)くらいの意味なので、わたしの好みで「病める王宮」としてみた(怪奇現象やオカルトではなく、こころを病むという精神の側面が感じられるタイトルにした)。
1~8行 第1連
1行目 greenest 「森(深い緑)」、valleys「谷」、angels「天使」のイメージによって詩の舞台が設定される。森のなかの美しく輝く王宮は、君主の思想=知性と結びつけられて表現される。そこに天使(人間を越えた存在)の視点を導入することで、よりいっそう素晴らしいものにしている。7行目 seraph 「熾天使[してんし]」は天使の九階級のうち最高とされる天使。
9~16行 第2連
第1連を王宮の遠景の描写とすると、第2連は近景の描写になる。このパートでは風のイメージが繰り返される。風になびく旗が王宮の栄華を物語る(でもそれは、むかしのお話…)。城壁に沿って吹き抜けてゆく風は、やがておとずれる凋落を暗示しているかのようでもある(後半への伏線になっている)。
15行目 plumed and pallid を加島祥造は次のように解説している。
plumed and pallid 2語はアリタレーション。plume 羽根飾りをする。誇り、自慢する意味がある。pallid 辞書には「色つやのない、青ざめた」とあるが、それではここの描写に合わない。yellow(黄)の意だという説に従う(マボット)。
ということですが…… わたしのこころはいまひとつ納得しない(加島祥造訳では「羽根飾りをした薄黄色の城壁のあたりを」となっている)。
そもそも城壁に羽根飾りってなんだろう?
しばらく考えて、ふと閃いた。この羽根飾りというのは植物のことではないだろうか。城壁=石組みには、その間から植物が生えたり、蔓草が絡まっていることがよくある。それを羽根飾りにみたてて表現したものではないのか。そのように考えると植物は緑色なので pallid 「青ざめた、青白い」とも符合してくる。
こちらの方向で訳してゆこう、「蔓草の青白い羽根飾りをつけた城壁に沿って」としてみた。
17~24行 第3連
18行目 two luminous windows の two に注目したい。ふたつの窓には、目(両目)のイメージがある。王宮そのものが人格を宿しているかのような「内面」の情景として、栄華の絶頂にある君主の様子が描写される。
22行目 Porphyrogene は、ギリシャ語の語源から「紫の衣を着て生まれたもの」で、「王侯貴族の家に生まれた者」の意を固有名詞化したもの(加島祥造の解説)。
25~32行 第4連
第3連のリュートの調べから、第4連では王を称賛する美しい声、領地に響く A troop of Echoes 「エコー(こだま)の群れ」と展開される(王宮の内から外への展開)。
29行目 Echo 「エコー」はギリシャ神話に登場する森の精霊(ニンフ)。こだまは声が谷に反響しているからこだまになるわけで、「谷の隅々にまで~」とイメージを補足した。
33~40行 第5連
君主と王宮の栄華が狂乱へと反転してゆく。33行目に sorrow とあるように、それが「悲しみ、悲痛、悲嘆」によってもたらされたことに注目しよう。明晰な知性であっても、深い悲しみを克服することは容易くない。
40行目 entombed は、38行目 bloomed と韻を合わせる語。
脚韻を合わせるために単語の順序入れ替え、動詞を目的語のあとにしたりするのは、これまで幾度かその例を示した。ポーの詩にはあまり多くないが、一般に、少し以前の定型詩には、このような文法上の「入れ替え」がしばしば行われていて、慣れない読者に、詩は読みにくいと感じさせている。
英詩を読んでいて、よく分からない行にであったときは、そのような「入れ替え」がされていないか検討してみるとよいとのこと。
詩ではイレギュラーなかたちで言葉を組み立てたりもする。文法からの読みではなくて、ひとつひとつの言葉がもつイメージとその関係に注目しつつ読んでゆくと、いっけん難解な表現もイメージしやすくなると思う。
41~48行 第6連(最終連)
第4連で提示された窓=目のイメージが反復される。でもそれは…… このパートの後半は、原詩の行の配列をそのまま日本語に置き換えると言葉の並び(眺め)がいまひとつに感じられた。行を操作して45~47行を2行にまとめ、最終行をふたつに分割した。
参考として、加島祥造、巽孝之、それぞれの訳の第6連(45~48行)を引用しておきますね。
そして色褪せた扉からは
不気味な奔流のように、
たえず甲高い叫びが吐きだされる
それは笑いだ――だが微笑みは絶えて、もはやない――※ 加島祥造訳
いっぽうでは、川の凄まじい急流のごとく、
蒼白なる扉からは
おぞましき一団が途切れることなく湧きだして、
しかも呵々大笑していくのだ――もはや微笑むことはないにせよ。
48行目 laugh 「(声をたてて)笑う」は、47行目 hideous throng 「おぞましい群衆」のイメージを引き継いで「不気味な哄笑」をあててみた。
「病める王宮」The Haunted Palace は、原詩に言葉を盛る方向で訳していったので、細部の表現にずいぶんと時間を使った。訳詩=言語の操作ではなくて、ポーが鮮やかに見せてくれた王宮の栄華、没落、狂乱、そのイメージの対比から日本語の詩を書き起こしてゆく感覚で作業した。
ご案内
- 詩人 エドガー・アラン・ポー (目次)
ポー おもな日本語訳