詩人 エドガー・アラン・ポー
エドガー・アラン・ポー Edgar Allan Poe (1809-1849)
アメリカ合衆国の作家。小説、詩、批評の分野で活躍した。愛や喪失、夢、幻想を主題にした叙情詩はヨーロッパで高く評価され、フランス象徴派の詩人に影響を与えた。
詩 目次
ポーの詩の日本語訳(原詩、解説、翻訳ノート付き)
- 湖、……に The Lake ― To ―― 1827【5】
- 不穏な気配の谷(不安の谷間) The Valley of Unrest 1845【6】
- ユーラリー Eulalie 1845【2】
- 病める王宮(魔の宮殿) The Haunted Palace 1846【3】
- ユーラルーム Ulalume 1847【7】
- 夢のなかの夢 A dream within a dream 1849【4】
- アナベル・リー Annabel Lee 1849【1】
※ 【 】は記事を執筆した順です。第1回から順番にみてゆきたい方は「アナベル・リー」 Annabel Lee(こちら)からどうぞ。
参考:https://en.wikisource.org/.../Author:Edgar_Allan_Poe(作品を原文で読めます)
ポーの詩を訳してみて 調子と物語のダイナミズム
ポーの詩は内容、様式ともにむつかしいものではない。でも、それを日本語の詩に訳すとなるとひどくむつかしい。実際に訳してみるまで、これほどむつかしいとは思わなかった。
ポーは「言葉に音楽がつくと詩であり、音楽のない言葉は散文にすぎない」と語っている(ポーの詩は心地よい言葉の響きを大切にしてつくられている)。英詩では「リズム」と「韻」の操作によって、そのような音楽性が生まれる。日本語の言葉の響きは英語のそれとはおおきく異なるので、英詩にみられるような韻の美的な操作はむつかしい。日本語の詩(口語体)に英詩のような音楽性を求めるとすれば、それは「調子」ということになると思う。
日本語には日本語の言葉の響きと組み立て=「調子」がある。文章の「調子」について谷崎潤一郎『文章読本』(六興出版)から引用しますね。
調子は、所謂[いわゆる]文章の音楽的要素でありますから、これこそは何より感覚の問題に属するのでありまして、言葉を以て説明するのに甚だ困難を覚えるのであります。(……)昔から、文章は人格の現はれであると云はれてをりますが、啻[ただ]に人格ばかりではない、じつはそのひとの体質、生理状態、と云つたものまでが自[おのずか]ら文行の間に流露するりでありまして、而[しか]もそれらの現はれるのが、調子であります。されば文章に於ける調子は、その人の精神の流動であり、血管のリズムであるとも云へるのでありまして、分けても体質との関係は、余程緊密であるに違ひない。
さすがは谷崎潤一郎先生、日本語の「調子」についての奥深いお言葉です。
わたしには、わたし自身に深く根ざした「調子」=言葉の響かせ方、言葉の組み立て方がある。その枠からはみ出して語ることは出来ない(自分のなかにない「調子」で語れば、言葉はまにあわせの「つくりもの」ぽい雰囲気になってしまい、生きた言葉にならない)。
このあたりに海外の詩を訳す第一のハードルがあるのように思う。訳そうとする詩の言葉とわたしのなかにある詩の言葉(その調子)の接点を見つけることが出来なれば詩は訳せない(違う言語の芸術作品をありのまま他の言語に移し替えることは出来ない)。ポーの詩を訳す過程で、そのような接点をどうしても見つけることが出来なくて(詩の入口を何度書き直してもしっくりこなくて)、訳すことをあきらめた作品もいくつかある。
詩の入口で「よし、このトーンだな」という「調子」をつかんだら、あとは粘りづよくすすんでゆきたい。翻訳は地道な努力の積み重ね…… と、思いつつ作業するのだけれど、ポーの詩はなかなか思うように訳せない。なぜ? (才能や能力の問題といってしまえばそれまでだけれど…)
ポーの詩の表現には(それが凝ったものであっても)、どこか俗っぽいところがある。単語のひとつひとつがディキンソンのそれとくらべて、それほど輝いていないような気もする(言葉のひとつひとつが詩の世界ですっと立ちあがってゆくふうではない)。そのようなポーの詩の言葉を英語から日本語に、そのまま置き換えてゆように訳してゆくと、あれ? というほど魅力の感じられない詩になってしまう。
ポーの詩が持っている音楽性=心地よい言葉の響きは、その魅力の戸口にすぎないのだろう。詩全体から浮かび上がってくる(直接目に見えない)「奥行き」が読むもののこころを魅了する。それはたぶん、詩に込められた物語性と深く関係している(と思う)。ポーは短編小説の手法をもっとも得意としていた。物語のダイナミズム、その〈うねり〉こそが大切なのではないか。ポーはオーケストラの指揮者のように、詩の背後に息づく物語を巧みにコントロールしながら詩の世界を構築してゆく。
物語のダイナミズムの視点に気がついてからは、訳詩の作業が(むつかしいものではあっても)ずっと楽しいものになった。さらに一歩物語の領域へと踏み込もう。そこを起点にして、詩の言葉を組み立ててゆこう。ポーの詩から与えられた「物語」とわたしのなかに息づく「物語」との不思議な交感だった。
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