鞠二月二日堂

詩と芸術のブログ

ディキンソン 「鳥たちの夏よりさらに晩く」 Further in Summer than the Birds

 海外の詩の翻訳シリーズ。

 エミリー・ディキンソン、第3回「鳥たちの夏よりさらに晩く」(鳥たちよりもさらに夏おそく) Further in Summer than the Birds(1068番 1866年)日本語訳と解説(ディキンソンの目次と年譜はこちら)。

 ※ [ ]は、わたしの補足です。

 ※ 『対訳 ディキンソン詩集』亀井俊介編(岩波文庫)、『ディキンスン詩集』新倉俊一訳・編(思潮社)を翻訳と解説の参考にしました。

 日本語訳 鳥たちの夏よりさらに晩く

 原詩 Further in Summer than the Birds

Further in Summer than the Birds
Pathetic from the Grass
A minor Nation celebrates
Its unobtrusive Mass.

No Ordinance be seen 5
So gradual the Grace
A gentle Custom it becomes
Enlarging Loneliness.

Antiquest felt at Noon
When August is burning low 10
Arise this spectral Canticle
Repose to typify

Remit as yet no Grace
No Furrow on the Glow
Yet a Druidic Difference 15
Enhances Nature now

 ※ 原詩は版によってカンマやダッシュ、大文字、小文字の使い分けなどに違いがある場合があります。こちらでは『対訳 ディキンソン詩集』で使われているテキストThomas H. Johnson: The Poems of Emily Dickinson, 1955に合わせました。

 解説 コオロギのキリスト教から大きな自然の中へ

 ディキンソンの代表的傑作のひとつとして認められている詩。解釈をめぐっては、さまざまな説があるようです。最終連で提示されたドゥルイド(自然神)のイメージに注目しつつ、わたしに見えてきたイメージをひととおりまとめておこう。

1~4行 第1連

 詩の舞台が提示される。季節は夏の終わり、鳥たち(たぶん初夏にやって来る渡り鳥たち)が飛び去った晩夏(1行目)。場所は草むら(2行目)。詩の主役はコオロギたち(3行目)。コオロギの鳴き声がキリスト教のミサにたとえられる(4行目)。

5~8行 第2連

 草むらの中のコオロギたちの姿~振る舞い(聖餐式の様子)は見えない(5行目)。ぽつり、ぽつり、と鳴きはじめたコオロギたちが「恩寵」(神の恵み)として表現される(5行目)。コオロギの鳴き声に、詩の語り手は「孤独」を見いだす(6~8行目)。

9~12行 第3連

 正午の自然の景色が描写される。そこに盛夏の燃えるように鮮やかな色彩はなく、古色の色合い(初秋の色合い)が感じられる(9~10行目)。コオロギたちが一斉に鳴きはじめる。姿の見えないコオロギたちの鳴き声は亡霊のようで幻想的な雰囲気がある(6~11行目)。それは「安息」~心身の安らぎの象徴となる(12行目)。

13~16行 第4連

 コオロギたちが鳴き止む(わたしの理解です)。だからといって「恩寵」が取り消されたわけではない(13行目)。輝き=陽光は翳っていない(14行目)。それまでのキリスト教的なイメージ(ミサ、聖餐式、恩寵)にかわって、ドゥルイド~自然神のイメージが提示される(15行目)。ドゥルイドの眼差しが、この瞬間の「自然」をさらに高める(最終行)。

 ※ ドゥルイド教は、古代ケルト人の宗教。動植物や天空の自然神を信仰していたそうです(キリスト教は人格神の信仰です)。

 最終行の「自然」は、わたしたちの日常のそれとはやや異なる「自然の中の神の体験」の趣があって、キリスト教の世界観には収まらない「大きな自然」の在り方(その体験)が示唆されているように思われる(すばらしい…)。

 翻訳ノート

 言葉のひとつひとつにそれほどこだわることなく、全体の流れを大切にして訳していった(詩として読みやすく、イメージしやすい日本語の表現をこころがけました)。

1~4行 第1連

 1行目 Further in Summer than the Birds 既存の訳では「鳥たちよりもさらに夏おそく」(亀井俊介訳)、「夏に鳥たちよりもおそく」(新倉俊一訳)となっていて、これらの訳に倣ってもよかったのだけれど、日本語としてやや分かりにくい気がした。「鳥たちの夏よりさらに夏晩く」→「鳥たちの夏よりさらに晩く」と訳してみた。

 3行目 A minor Nation 「小さな種族」は、コオロギのこと(ディキンソンは手紙の中でこの詩のタイトルを My Cricket と書いていたそうです)。

5~8行 第2連

 5行目 Ordinance は、キリスト教聖餐式。キリストの最後の晩餐に由来したパンと葡萄酒を会衆に分ける儀式。

 6行目 Grace は、キリスト教の「恩寵」(神の恵み)。

9~12行 第3連

 10行目 When August is burning low は、行の配列を維持したかったので、「そこに八月の燃えるような色彩はなく」と訳した。

 12行目 Repose は、それまでの「ミサ」「聖餐式」「恩寵」の流れから「安息」と訳した。既存の訳は「寂滅」(亀井俊介訳)、「近づく静止」(新倉俊一訳)となっていて、わたしにはいまひとつしっくりこないのだけど…… (参考ということで)

 ※ 寂滅[じゃくめつ]すべての迷い、悩みから離脱し、真の意味で自由になった理想的境地。

13~16行 第4連

 14行目 Furrow は、畠の畝[うね]と畝のあいだの溝のことだそうです(亀井俊介の解説)。その溝に影が出来ていないということで「輝きに溝~翳りは見当たらない」と訳した。

 15行目 Difference 「違い、相違、差異~」は、キリスト教とドゥルイドの「相違」と理解して、分かりやすいように[キリスト教~]と言葉を補った。亀井俊介訳では「ドルイド的な変化が現れて」と「相違」にこだわらない表現になっていて、このありたり、シンプルに訳してもよかったかもしれない。

 16行目 Enhances 「〈質、能力などを〉(さらに)高める、増す」は、より高められたニュアンスを組み込みたかったので「一段と高める」と訳した。第1~3連までのコオロギたちのミサとして描かれた「自然」が、第4連の静寂~コオロギの合唱の余韻によって、さらに(神秘的に)高められたということです。

 詩の翻訳は心地よい緊張感のなかで作業することが出来た。あと少し、ぴったりとした言葉があるような気もしているので、時間をおいて見直そう。

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