蛇遣い
ひとつの研究が終わると、どうにも落ち着けない。休暇もそこそこに、あらたな研究課題を模索した。それまでのノートを読み返して選んだのは「蛇遣い」だった。
作家Mは廃校になった中学校の講堂を書斎として使っていた。十万冊の蔵書と三万枚のレコードがひしめく大広間は、すべての窓に板が打ちつけられ、半円形に並べられた十数本の蝋燭が大理石のテーブルの上で明るいオレンジに燃えていた。
「ぼくは蛇遣いなんですよ」と作家Mは自己紹介した。インタビュアーの女性は一瞬戸惑いの表情を浮かべ「つぎの作品には蛇遣いが登場するわけですね?」と聞き返した。
「創世記によるとイヴは蛇にそそのかされて、食べることを禁じられていた木の実を食べてしまいますね。皆さんよく御存じの物語です。では、そのように蛇を仕向けたのは誰でしょう? さて誰か…… 偶然の悪魔か? 必然の悪魔か? どう思われますか? むむ…… これは、あなたにとって興味の持てない問題ですか? 物語を見つめる眼差しはひとつだけではありません。あらたな視点を導入して眺めてみることも出来ます。蛇にそそのかされることのなかったイヴがいたとしたらどうでしょう? 蛇嫌いのイヴを想定するわけです。蛇が大嫌いなわけですから、蛇の話に耳を傾けるなんてこともありません。蛇に出会ったら、きゃぁぁ~ とたちどころに逃げてしまう。そうすると世界はいまとどんなふうに違っていたでしょう? ぼくはこのような仮定にひきつけられます。ひと晩、眠らないで考えつづけても退屈しません。ここでそのお話をしてもよいのですが、イヴと蛇の物語はいささか複雑です。対象を蛙に置き換えてみましょう。不運にして蛇と出会った蛙は、おおよそ蛇に食べられてしまいますね。ぱくり。でも、なかには蛇と出会い、蛇に睨まれても、捕食されることから逃れた蛙もいたでしょう。その蛙が〈蛇遣い〉の末裔だったと考えてみてはどうでしょう? 蛇遣いの血をひく蛙、愉快じゃありませんか。あなた、そう思われませんか? その蛙は大きな蛙ではありませんが、触れると指先がその色に染まってしまいそうな深い青色をしているはずです。なぜ〈深い青色〉なのか? それは、ぼくにも分かりません。でもそれは、たしかに〈深い青色〉でなくてはならないのです」
作家Mは棚から一枚のレコードを取り出すと慣れた手つきでターンテーブルに載せて針を落とした。薄暗い壇上の奥から聞こえてきたのは、リヒャルト・ワーグナー「マティルデ・ヴェーゼンドンク夫人のアルバムのためのソナタ変イ長調」だった。古い録音らしく、ときおりピアノの響きが歪んだ。掌ほどの薄い紙が蝋燭の炎にむかって投げ込まれた。紙は一瞬で燃えて灰になり、上昇気流に乗って舞い上がった。天井近くをゆらゆらと漂う半透明の灰は蛇の抜け殻そっくりだった。
詩作メモ
魔術に黒魔術と白魔術があるように、蛇遣いにも「良い蛇遣い」と「悪い蛇遣い」がいるのだろう。以前、夢に出てきたのは悪い方の蛇遣いだった。墓地にいたカエルくんが狙われていたので、「ここにいたら危ないよ、逃げたほうがいいよ」と教えてあげた。黒い頭巾をかぶった蛇遣いの女が墓地に現れたのは、それからまもなくのことだった。
あれはいつ見た夢だったかな? ノートを繰ってみた。2012.5 と書き込みがあった。この散文詩をつくりながら、あのときのカエルくんのことをふと思い出した。
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