世界平和会議
昨夜まで降りつづいた雨は上がり、路地にはいくつもの水たまりが出来ていた。R旅館の前で、わたしたちは先生を待っていた。
「Yさん、先生来ますかね? 夢のお告げなんでしょ」
「お告げなんでしょうか? わたし、よく分からないんです」
「先生が、ここで待っているようにって、そうでしょ?」
「ええ、〈世界平和会議〉の案内状が届いて……」
「夢で」
「そう、夢で」
「先生の邸宅に出かけていった」
「行きました。案内された部屋には大きなテーブルがあって、席に着くと小さな折り鶴が置いてありました。会議はなかなかはじまらなくて、わたし、ついうとうとしてしまって……」
「夢のなかで夢を見た」
「窓から外を眺めると青空にアドバルーンが漂っていました。ピラニアの口をしたアドバルーンでした」
「不気味だな」
「わたしたちを嘲り笑っているようにも、むきだしの敵意のようにも思われました」
「そして奇術師が現れた」
「若くて美しい男でした。彼が銀のステッキをひと振りすると銃声が鳴り響いて戦争が始まりました。学芸会の演目のようでしたが本物の戦争です。窓の外ではピラニアの口をしたアドバルーンが椋鳥の大群のように青空にひしめていました。世界の終焉を見ているようでした」
「そのとき先生の声を聞いた」
「いいえ、声を聞いたわけではなくて、思い出したんです。ずっと忘れていた先生との約束でした」
夢から覚めて気がつくこともある。小さな鶴は先生が愛用していた大学ノートの紙を使って折られたものだった。
「あっ、先生だ!」
誰もが驚きの声を上げて、先生との奇跡的な再会をよろこんだ。みんなに見えているものが、わたしには見えなかった。ひと一人分の空白を囲んで仲間たちは旅館に入っていった。仕方のないこともある、静かにその場を立ち去った。
翌朝、R旅館を訪れた。桔梗の間の円卓の上に一冊の大学ノートが置かれていた。ノートの前半分は黒のインクで、残りは赤のインクで小さな文字がページを埋め尽くすように書き込んであった。〈世界平和会議〉の議事録だった。
詩作メモ
この作品は、
1. テーブルの上の小さな折り鶴
2. ピラニアの口をしたアドバルーン
3. 黒と赤のインクで書かれた大学ノート
3つの情景=イメージから即興的に物語を組み立てた。
物語世界では、夢と現実の区別はあまり意味を持たない(と思う)。夢のような現実があり、現実のような夢がある。夢と現実の自在な交換~絡まり合いから立ち現れてくるものにこころひかれる。
ご案内
- 次回 辺境の街
- 前回 楽しいことが好きだった
- 詩 目次
関連の詩
- 地下道をゆくのがよい [先生]
- 先生 [先生]